いつか夜汽車で vol.2
豪華・快適列車で旅の空


2014年3月


“旅の楽しみ”食堂車の盛衰

 


夜汽車と聞いてノスタルジックで、懐かしさを覚えるのは何故だろう。 
舞台から去ろうとしている今だからこそ、夜汽車に乗って旅に出たい。
廃止が報道された「あけぼの」、話題騒然の豪華寝台列車「ななつ星in九州」など夜行列車の旅を一冊にまとめました。




かつて食堂車は特急列車や急行列車などの主な列車に連結され、旅の楽しみのひとつだった。ここでは食堂車の歴史を駆け足でのぞくことにしよう。


明治32年5月25日、私鉄の山陽鉄道京都~三田尻駅(現・防府駅)間の急行列車に連結の食堂車が、我が国最初の列車食堂車である。山陽鉄道は瀬戸内海航路と競争関係にあり、瀬戸内海の景色を愛でながら食事する楽しみを提供した。


一方、官設鉄道(国鉄)では明治34年12月15日、新橋~神戸駅間急行列車2往復に食堂車が連結され、営業を開始した。山陽鉄道の食堂車連結に遅れること約2年7か月になる。当初は洋食のみで、乗客は敷居が高く、尻込みして利用者は少なかった。そこで明治39年には主として3等旅客用に和食用の食堂車、すなわち和食堂車の連結を開始した。


和食堂車は両側の窓に沿ってテーブルと、スタンド式の固定の丸形回転いすが設置されていた。今日の手軽なコーヒー店のような配置としたのは、客車の幅が狭いため、和定食は洋定食と異なり定食をお盆にのせ、客の背後から給仕するほうが便利で、定員も多くできると判断し採用された。


昭和9年以降1等車の運転は東京~下関駅間に限られ、この区間のみが洋食堂車の連結となり、その他の列車は洋風の一品料理を加えた和食堂車の連結となる。戦時体制下の昭和19年には、食堂車がすべて廃止になる。


第二次大戦後の昭和33年、東京~博多駅間特急「あさかぜ」の20系固定編成客車に食堂車ナシ20形が連結された。編成の一端のディーゼル発電機を積載した電源車から供給を受けるため、オール電化の調理室を完備し、電気コンロによりビフテキも迅速に焼け、人気が出るようになる。これ以前は石炭レンジで、お客の好みの焼き具合にできなかった。


昭和35年には電車特急「こだま」に本格的な食堂車サシ151形が誕生した。また昭和36年には電車急行のビュッフェでにぎり寿司の営業を開始したが、寿司のネタの鮮度の確保、価格の変動に問題があり短期間で廃止になる。


以後、在来線や新幹線の主要列車には食堂車が連結され、昭和40年代後半に最盛期を迎える。しかし列車のスピードアップや、相次ぐ運賃・料金値上げで他の交通機関と競合し、これに人手不足も加わり、次第に衰退していった。


現在、食堂車が連結されている列車は「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」の3往復と、「ななつ星in九州」のみである。「ななつ星」の食堂車は、九州の旬の味を味わえるデラックスなコース料理が好評だ。



「ななつ星in九州」のダイニングカー
(提供:JR九州)


 


 


文 三宅俊彦(鉄道史研究家)
●昭和15 年、東京生まれ。鉄道史研究家。鉄道史学会会員・鉄道友の会会員。著書に「特殊仕様車両 食堂車」など


<旅行読売臨時増刊 いつか夜汽車で>


【旅行読売 編集部】




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